2014.01.19 Sun 00:11

インディゴチルドレンと嘘と偽善


「嘘」って

他者もしくは自分を欺くために用いる。

って認識が大きいと思う。

誰かの

責任転嫁とか

いいわけとかで

何かの責任を取ることになったり

濡れ衣を着せられたり

えらいめにあうこともあって

「ほんと嘘は許せない

と思うことも多々あるけど

『嘘も方便』っていうみたいに

全く嘘といえば嘘になる

優しい違う言い方を用いないと

コミュニケーションは

とても困難になってしまう。


嘘とは事実と違う事を言うことだと思うけど

事実を事実のまま伝えたことを

相手がどのような感情を抱くかは

もう相手の問題だし、

ひとつの事柄を

こんなに色々な言葉で言い表すことができるのだから

誰かにとって「嘘」であっても

「嘘」は嘘で無い事も多いと思う。


それに

事実「嘘」だとしても

相手が喜んだり

安心したり

あるいは未来に肯定的な意味を生み出せるなら

すでにその「嘘」は

「嘘」ではないのかもしれない。

嘘とは

他者もしくは自分を欺くために用いる。物なのだから。



わたしは嘘つきだと

よく言われていました。

なにが嘘つきだというと

「相手はいい人」だと思っていることを

嘘つきだとよく言われていた。


そのことを八方美人

嘘つき

腹黒い

そんなことこれっぽちも思っていないことを

暴いてやるからとか

繰り返しいわれていました。



わたしは世界は平らじゃないと思っていて

ある時期までいたエコロジーでは

だれかをいい人だと言うことは

「嘘」でした。




そして

ある時期からいるこのエコロジーでは

「常識」で、みんなが当たり前に口にします。


その中で誰かが誰かに対しての言葉の

いくつかは「嘘」かもしれないけど

自分の為であれ、相手の為であれ

場の空気を読んだのであれ

心の底からの「嘘」であれ

「相手はいい人」だと思っていることを

嘘つきだという人には出会わなくなった。



地上は平らじゃない。

エコロジーが分かれていて

文化も信念も価値観も

選択する言葉もコミュニケーションも違う。

わたしはそんな風に思う。


だからこのエコロジーの住民は

「相手はいい人」だと思っていることを

嘘つきだといわれることが

この世界にあることすら

知らない人が実際にいる。



波動は波動が合うものが

類ともの法則で集まっていく。

世界とは波動だから。

そしてその波動の周波数を

70億分足して

70億で割ったら

地球は3次元なんだよ。


ごめんなさい。

話がずれました。


インディゴチルドレンは

「嘘」が良くわからないと思う。

ホントに思っているから言ったことを

「嘘」だといわれたり

悪気なんてこれぽっちもないのに

「ひどい」

「最低」

「何様なの?」

とか言われたりする。

どうしてこれが

嫌味や意地悪や

陰口だといわれるかがわからない。

かわいいから

猫みたいといったのに

「ひどい!嫌味だ」

といわれたりする。

いまなら

相手が勝手に

違う意味に受け取っただけだとわかるし

「かわいいって意味です」って

相手の嫌悪感丸出しの顔に

気づかないふりしてそういうと思うけど

本当に最近までわからなかった。

なにが「嘘」で

なにが「ひどい」ことなんだろう?


インディゴチルドレンっていっても

エンパスが強くて

相手の表情や仕草や波動や

言葉や言い方が

何を意味するのかわかりすぎるタイプと


ものともせずに

「自分の意見を押し通す」タイプといると思うけど


あなたがどっちのタイプであっても

自分の意見は

自分の言いたいいいかたで

言えたほうがいい。


そして

もしあなたが前者なら

本でも何でもいいから


ちょっと自己投資して

コミュニケーションスキルを学んだほうがいい。

一言でも多く

言葉のボキャブラリィを持ったほうがいいし

「嘘」ではなく

言いたいことを示す

言いたい言葉を持ったほうがいい。



実は

私は弟と話すとき

すばらしいとか、感動だ!とか

マジリスペクトっす!!!

というとき


「あほだ」「きちがいだ」

「ありえない」「まともじゃない」

と連発しあって

うちの母に嫌な顔をされるんだけど


こんなすばらしい仕事ができるなんて

まともじゃない。あなたはあほだ。

と我が家の弟は姉に

絶賛褒め称えられたりします。


だって

「すごーい」とか言われるの

嫌なんだもん。




インディゴチルドレンは

世の中で美しいといわれている

偽善的なことなんていわないでいい。


そうしないと居られない場で生きていたら

今はいいけど

365日24時間

いつなんどきも誰といてもなんて

そんなふうに思わないでほしい。


お金が要らないとかいわなくていい。

お金がほしいといっていいし

認められたいといっていい。

たしなむ程度です。とかいわなくていい。

好きなものを好きといって

嫌いなものを嫌いといっていい。

かっこいいものをかっこいいといっていいし

好きな人とだけ関わっていきていたいと

そういっていい。

くだらないと思えば

くだらないと思っていいし

馬鹿馬鹿しいと思えば

ばかばかしいと思っていい。


だけどインディゴチルドレンは

自分の嫌いなものに触れて

悪態をついて

悪態をつきまくって

生きていちゃいけない。

インディゴチルドレンは

好きなものを絶賛して生きていて欲しい。


ないなら

自分で作ったほうが早い。

自分で発信した方が早い。


インディゴチルドレンの感性は

世界より

10年も20年も早い。


この世界は

100を200にするよりも

0から1を生み出すほうが難しいし


偽善ぶったことを言い並べる人ほど

「あなたになにがたりない」

「あなたにこれをしらない」

って親切顔で言い並べたりして

無駄に不安ばかり植えつけようとするけど

若いからって

馬鹿にしてかかっている

20も30も年上の人が山ほどいるけど

言いたい事を言ってもいい。


10年も20年も30年も長く生きたら

この間の時間にどれだけの事を経験できるのか

それによってどんな価値感が変わるのか

どんなふうに信念や価値観が違うのか

わかるほうがいい

受容できたほうがいい。

自分はそんな

大人になればいい。


無駄に遜ってこびてみせて

20年後の若者に

遜ってこびないと

常識無いとか言うくらいなら

自分も常識ないといわれて

20年後の若者を受容して

それでも恥ずかしく無い大人になったと

言えるようになったほうがいいとわたしは思う。



インディゴチルドレンは

偽善はやめよう。


その分の責任を負って

自由でいよう。



やればいいじゃなないですか?

やったらいいじゃないですか?


すべては

対等の立場になったらはなしをしましょう。



ゼロから1を生み出す人に

何かを言えるのは

ゼロから1を生み出した人だけだと思う。


すべてはその後

対等の立場になったらはなしをすれば

いいんじゃないですか?


あ、

ところで

不特定多数に理解されるけど

生きている喜びが少ない人生と


不特定多数に理解されないけど

生きている喜びが多い人生と


どっちが

面白いと思う?































 
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