2013.06.14 Fri 17:39

インディゴチルドレンは本当にわかんないんです。もう、マジ勘弁してください。


インディゴチルドレンは

世の中のいろんなことがわかりません。

教えられなくても

わかることもあるけど

普通でしょとか言われても、

わかんないことはわかりません。


例えば、職場で、

これしなくていいですから。

と言われたとしましょう。

いいえ、私やります。

と言って、

一種懸命だと言われたり、

あの人はやらなかったと言い出したり、

いろんなことが繰り広げられますが、

『なんでしなくてもいいって言うんだろう?』

と、心の底から理解できません。


しなくてもいいと言っても

するものよ!

って言うならまだ理解の余地があると思うけど、

したらしたで

しなくていいって言ったのに、

ありがた迷惑。

めんどくさい。

とか、話になったりならなかったりしたり


年下とか

女性に挨拶をしないおっちゃんが

こんな時だけ遜って

俺します。

とかやっていると

心は

月の裏っかわどころか

銀河系の隅っこあたりまでドンびいていたりしています。


本当に意味がわかりません。


お願いするならお願いする。

お願いしないなら、

してもらわないことに不満を言わない。

こんなにシンプルで簡単なことが

どうして、一般的なことではないんだろう?

人ってそんなもんじゃない?

そういう人もいるかもしれないけど

人ってそんなもんじゃない。と

私は思う。


それが、あの人は好きだけど

この人は嫌いだから。

そんなこんなでころころいうことが変わってしまったら

ドン引きどころか

逃げ出したい気持ちにすらなってしまう。



思い起こせば、

子供心に

大人はいいけど子供はしなさい。

も意味がわからなかったです。


挨拶しなさいと教わるけど

挨拶しないのはいつも

大人だったじゃないですか?


信号を守りなさいと言われるけど

信号を守らないのは大人ではなかったですか?
嘘をつくなと言われるけど

嘘をつくのはいつも大人でなかったですか?



孫がいてもおかしくないような

いい歳の大人が

年下や女性に挨拶をしないとか

あなたはそんなコミニケーションをして

次世代の子供達に

どんな社会を残したいと思っているのだろう?


自分はそんなだけど

あなたはしてはいけませんとか、


それでも年上を敬えとか

あなたも年下にそうやって接して威厳を表せとか?


勘弁してほしい。

本当にわからない。



インディゴチルドレンは

相手の本質の部分しか見えないから

本質と

生き方のギャップが大きい人に出会うと

軽いパニックを引き起こします。



でも、実際そんなことばっかりだから

自分がおかしいんだと

一つ、また一つとそんな確信が

深まって行くのかもしれません。


インディゴチルドレンは

人類みんな友達!

みたいに思っているところがあるので

知らない人に話しかけたりするかもしれません。

それで

驚かれたり、訝しがられたり

したことがあるのではないでしょうか?


でも嫌とかんじたら最後

その場から逃げ出したり

空気のように気配を消したりしているかもしれません。


わたしたちは

人間関係の距離感を取るのが下手なのでしょうか?


私たちがおかしいのでしょうか?



あんまり信じてもらえないけど、


知らない人に

目があって微笑みかけたら

微笑みかえしてもらえるし



知らない人に話しかけられたら

返事をします。


わたしがぶつぶつ独り言を言っていたら

返事をしてくれる人もいるし、


たまたま信号で隣に立った人が

暑いですね。というので

本当ですね。暑いですね。


そんな風に信号を待っている間話をしたりします。


同じ山形で同じように生きているつもりだけど

いつからこんな風に世界が変わってきたのだろう?


10年ぐらい前は

嫌なことがあると

過去にあった嫌なことが

バケツをひっくり返したようにザバーンって降ってきて

その嫌な思い出に溺れそうになってばかりいたけど

いつからかぴたって

そうなることがなくなった。


人はその時の状態によって

多重人格なんじゃないかってくらい

思考や選択や信念や話すことが変わってしまう。


自己肯定感が変わると

この世界は本当に変わっていく。


インディゴチルドレンは

わからないことがたくさんある。

つうか、

普通が普通と感じて

なんの違和感も感じなかったら

インディゴチルドレンは

何しに地上に来たの?って

話なわけです。

何を壊して

何を変えて

何を創造するためにきたの?


ってそういうことです。


自己肯定感を上げろ、

自己肯定感を上げろって


意味がわかんない。

そういう人もいるかもしれない。



自己肯定感をあげなくても

自分を信じていられるなら

自分を認める必要なんかない。


自分が嫌いでも

魂の叫びのまま

今生の仕事が出来るなら

自分の目的を現実化できるなら

表現すべきことを創造できるなら

自分を嫌って、生きたらいいと私は思う。


私は

ビビリでビビリだから

根本的なところで

自己肯定感を引き上げないと

ここにたどり着けなかった。

だから、私からは自己肯定感を上げようって


繰り返し発信するけど、

もし、自己肯定感を引き上げなくても

魂の仕事が出来るなら

自己肯定感を引き上げる必要なんかない。



だけど、意味わかんない。

あれが嫌だこれが嫌だって言っていても

それだけじゃ

何が魂の仕事なのかを取り戻すのは難しい。

批判するのは容易い。

それでも、ただ批判しているのは

理由のない暴力と同じだと思う。


それが嫌だって思ったら、

何ならばいいのだろう。

そのいいことを選択していかないと

次の時代の子供達に何を残せるの?



二十歳くらいまで

お姑さんにされたことを

嫁にしているって話をよく聞いていた。


25歳くらい過ぎてくると、

お姑さんにされて嫌だったことは

お嫁さんにしないことにしているんです。

そんなことを話す人によく出会うようになった。



次の時代の子供達に何を残したいだろう?

そのために何ができるだろう?

意味がわからないから

コミニケーション講座をしている。

不満をいい並べたって世界は変わらない。

人だって変わらない。


自分は自分が求めている自分であることを

選ぶことができるでしょう?


だけど、自分が自分を嫌いでいたら

その求めていることを

軽んじてだいじにしないじゃん!



ああ本当に

心と言葉がもっともっと

近づいたらいいな。



相手を思いやった優しい嘘ばっかりで


痛くない腹を探られたりしたくないな。


コミニケーションは伝えるために発生するけど

伝わらないと意味がないんだって。


伝わる言葉を選ぼうよ。
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